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  • koya21
  • 2020年4月26日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年10月8日


男が、ホームの端に立って目を皿のようにしている。一瞬見られているのかと思い警戒したがそうではなかった、だが何をみているのかわからない。電車の詳細な造作か、駅員の仕草か、未だ静かに混み合っている人の群れか。見て、何かを思っているのかもわからない。

改札口への階段の後ろには缶ビールとこぼれた液体、踊るビニール袋。小蝿が顔のすぐそばを横切った。

再び駅の階段横、足元から凝っと目を離さない作務衣。通り沿いでは、店を畳もうとした主人が、空の段ボールを持ってレジを見つめたままふと動かなくなった。

見つめている姿というのはどういうわけか惹きつけられるものがあって、近くでも遠くでもつい目で追っている。

目的や理由がないと身体を動かさないのと同様に、日常においては、視線も一定の狙いを定めている。だがこの瞬間、目の関心は空へと放り投げられどこにも着地できず、跳ね返ってくることもない。

一見虚しい視座が見いだすのは、意味や定義や過去や未来や労働といった「社会」の文脈を纏わない景色だ。目の前のものたちの存在の根拠が突如不明になる。わからなくなったものをどうにか掴もうと、自身の似姿を投影しようと試みだす。そして余計にわからなくなる。いま自身がここにいる社会的根拠も、一瞬の目のゆらぎで失われてしまう。

ただありふれたものを前にして、不意に無力になる。

しかし、この視点からしか拾えない感覚があるように思う。

 
 
 

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