△ koya212018年6月3日読了時間: 1分更新日:1月1日 現在、こちらの展示に参加しております。残念ながら在廊できないのですが、お近くにいらした際にはぜひ。 (_終了しました) 言語化という行動が、純粋な客観性の獲得に繋がるとは必ずしも信じていない。そこには必ず利己的な動機がある。保持しておきたい/引き止めたい/権利を主張したい、等単なる感情の乗り物として言葉が用いられていたとしても、言葉はいつだって正当性を纏ってしまうので、何だって鵜呑みにされてしまう。どんなものもいずれは失われてしまうが、言葉だけは骨組みとして何処へでも持ち出して流用できる。