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- koya21
- 2018年3月25日
- 読了時間: 1分
更新日:1月1日

Roppongi Art Weekに来てくださった皆さま、ありがとうございました。
この度の展示では、自分の手の届かないところで作品がある/衰えることを考えさせられ、自分の頭で想定していた制作の始点から着地点までがいかに小さかったか、ようやく身に染みています。
しかしながら、見えていなかった=未熟、悪、終わり ではなく、時間がかかっても一つ一つ拾い上げていくこと、 今後の可能性を広く見据え、そこまで責任を持って立ち位置を定める、など
気づかされることは多くありました。
それから支持体について。どのような場所に絵が存しているか、ずっと考えてきたのですが たとえ水面に不安定に浮かんでいるようなものであれ、その不安定さの提示で終わるのでなく、その沈み方までを扱うように。 制作行為そのものも同様に、全てを自立させるのは不可能にしても、制作場所の隅々まで選択したもの/自由なものにしておく、その方法を確立させたいところです。
ここ数週間は学生生活と新しく続く生活の二つが薄く重なっているような状況でしたが、それもそろそろ終了です。
いくつかの目標それぞれへの行動を怠らぬようにします。