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- koya21
- 2016年11月29日
- 読了時間: 1分

少しの量のくだらない文章ができたので読み返してみたけれども、結局は、こうでなくてはならない、という結論だ。戒め、理想で終わっている。呆れ返る。
言葉というのは、真だけを表すものではない。叫びとしての言葉がある。
ある状況、現状、概念などを、頭から消し去るために、自分に言い聞かせるための言葉がそれだ。それは不可抗力で出てしまうものだ。身体の痛みに耐えきれず出る声と変わらない。動物の鳴き声と同じ。
つまり本心は別、というより、全く真逆のことを信じている。そんな言葉でも、言葉は真を示すはずだという前提は消えないので、内容だけが一人歩きしてたくさんの人々を振り回す。そしてまた同じように叫びたい人々が騒ぎ立て火に油を注ぐ。中心がないまま周囲のあれこれを巻き上げて大きくなって、そのうち爪痕だけ残して立ち消える。
質が悪いことには、言い聞かせることが目的なので、まるでこれこそが本当に正しいというような見掛けをしている。発言している自分自身、その言葉を信じていないことにも気づいていない。
鳴き声のほうが余程マシだ。